(蟹)

蟹の見てる世界˙˚ʚ( •ω• )ɞ˚˙

おでこと背中のブツブツの犯人めっ!

背中のブツブツがなかなか治らない。

 

おでこのブツブツが気になりすぎる。

 

そんな方に、1つの可能性として

 

"リンス"を疑ってみてほしい。

 

昔、一瞬美容師をしていた時に体感した事から思うのですが、

 

「リンスって最悪」

 

です。

 

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よく美容師になろうとしたが手荒れがひどくて続けられなかった…と言う話を耳にしますが、何割かは"リンス"にやられていると思っています。

 

シャンプーで過度に油分水分など肌から必要なものを剥がされた所に、パーマ剤などが刺激になり肌荒れするパターンと。

 

シャンプー後にリンスし、その時にリンスが肌について取れなかった為に肌荒れするパターンもあるんです!

 

リンスはただ水で流しただけでは、肌から完全には取れませんから。

 

私は肌が弱かった為、最初からあらゆる薬剤をよく流すように気をつけていましたが、リンスは侮っていました。

 

そして手首が赤く腫れ、痛痒く、仕事に支障が出ました。

 

場所的にパーマ剤では無いよね、と気がついたので、

 

"リンスやん!"

 

となり、ことなきを得ました。

 

この経験から、シャンプー変えたらおでこにブツブツが出て、何をしてもなかなか治らない場合、それはシャンプーでは無く、リンスの方が犯人かも知れません!!

 

背中は、リンスがくっつきやすい状態になりやすいので、1番影響を受けやすいと思っています。

 

背中のブツブツ、ニキビでは無くて、リンスのせいかもよ!?

 

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経皮毒について考える今日この頃。

  

最近はありとあらゆる形態のリンス、コンディショナー等があります。(最早定義がどこかに行った)

 

それでもやはり肌について良いものとは言えないと考えます。

 

リンス後に、頭上からシャワーで流している方、頭をさげる体制になるとか、工夫して背中につかない様に流してみてください。

 

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おでこの場合は、くっついて取れないほどのリンス剤が残っている可能性があります。

それは量的に減らすだけでも違うかも知れません。

 

おでこだと、スタイリング剤の可能性もありますね。

 

少しの手間ヒマで、長年のブツブツとお別れできるかも知れませんよ。

 

"リンスは皮膚につけない!!"

 

です˙˚ʚ( •ω• )ɞ˚˙

 

 

 

学校への一歩、不登校への一歩

人生の答え探しや、

 

なにをして生きていくべきか、

 

そんな事を散々悩んで勉強してもがいて答えと思われるものを知っても、

 

それを行動に移せる人は、本当に少ない。

 

そもそも、行動しようとしない。

 

だけど、学校に行きたくない、辛いと思っている子供達は、

 

"学校にはいっておいたほうがいい"

 

そんなあやふやな理由で、心と真逆の行動を強いられる。

 

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正解と知っていても大人ができない事を、子供は意に反していても必死に行動する。

 

そして遂に力尽きた時、心や体が悲鳴をあげる。

 

崖から半歩踏み出したところに来てやっと、家族や学校の知るところとなる。

 

その時周囲は、もうひと息頑張れという。

 

学校へ行けという意味で頑張れという。

 

もう、そんな余地などありはしない。

 

中にはそれでも頑張ろうとする子もいる。

 

足元に、もう地面がないのに、歩けと言われたようなものだ。

 

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もしお子さんが小学生など、早くに不登校を訴えたなら、そのお子さんは"訴える事が出来る"素晴らしい能力がある。

 

多くのお子さんは、表現できないで毎日疲弊して行くけれど、疲れきる前に訴えてくれれば疲労回復も早い気がしている。

 

やるべき事に踏み出せない一歩と、

 

やりたくない事に必死に踏み出す一歩のエネルギー消費量はどの位だろうか?

 

子供はすごい。

 

大人は意に反した毎日など、長くは耐えられないのに、子供は必死にやり遂げようとする。

 

子供が不登校を訴えた時、まず向き合うべきは親の方だ。

 

自分は一歩を踏み出せているのか?

 

目の前の子供に、どんな一歩を踏み出してほしいのか。

 

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それらの答えは、周囲からの影響を受けずに自分で出した答えか?

 

子供の訴えは、必死に行動した結果だけれど、自分は行動した結果か?

 

子供の訴えを信頼して、休憩させてあげる事ができる自分だろうか?

 

毎日、意識していなくても、物凄く頑張って生きている事と思います。

 

少し立ち止まって、向き合って、好きなものでも食べて、息を吐ききっていただきたいと思います。

 

まずはそこから˙˚ʚ( •ω• )ɞ˚˙

 

 

 

 

どっちが偉いとか本気で言ってるの?

時代がうつろっても、未だに変なところで競争と言うか…、上下を付けようという根性の持ち主がいるようです。

 

完全母乳育児をするべきだ、

 

自然分娩でないと赤ちゃんに悪い??

 

専業主婦は悪だ、

 

社員が上、パートは消耗品、

 

保育園に子供預けるのは育児放棄

 

布おむつがいいに決まってる、

 

家事は女がやる、

 

ああもう、あげだしたらキリがない。

 

こうやってあげただけでも、相反する主張がありますしね。

 

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実際私の知人でも、出産の際に緊急カイザーになり、「自然分娩できなかった!」と泣き喚いている子がいました。

 

周囲にあれこれ言われて、疲弊してしまっている子も居ました。

 

中には、パートナーと話し合いができなかったり、決定的に意見が違ってしまっている子も居ました。

 

自分が思っている"普通"について、疑うことをしなければ、いざという時になるまで意見の違いは露呈しない訳ですから、深刻ですね。

 

正直私は、これらの事に正解はないと思うし、どーでもいいと思っています。

 

これは突き放しているという意味ではなくて、自分で考えてそう決めたならそれで良いじゃない、という事です。

 

そして、起こってしまった出来事について悪態ついても何にもなりませんから、"そう言うこと"になったね、と言うだけです。

 

ただそのまんま、受け止めれば良いです。

 

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色んなことを選択して行けるなら、選択肢があるだけ良いじゃないか、と思うし。

 

どうするべきだ!とか、

 

間違ってる!とか、

 

そう言う事を言ってくる人は、その言動の影響について責任取る気はさらさら無いです。

 

自分で決めて行動したなら、その結果がどうであろうと全てが経験値になって行くんですから、惑わされる必要は無しです!

 

今、行動や選択を迫られているなら、理屈抜きで好きにしたら良いと思う。

 

何が正しいとか、何が偉いとか、そんなの無いから!

 

 

不登校を選ぶ親の本気

今日で多くの学校の夏休みが終わる。

 

長い休みのあと、不登校児童は増える。

 

自殺も増える。

 

慌てふためいて、死ぬくらいなら学校行かなくて良いよとか言い出す。

 

かく言う私は、死にたくならなくても、学校行きたくなければ行かなくて良いと思う派。

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不登校児童に対する現在の指導は、「学校に"戻る"」のが1番良いことになってる。

 

大人たちは皆、学校に行くのが"普通"だと疑いもしない。

 

そう言う私も実はその1人だったけど、今は違う!

 

学校に行くも行かないも選択すればいいって思います。

 

ただ、それには今の学歴制度には、選択肢が少ない…

 

引きこもる

フリースペースに行く

塾に行く

支援学級に行く

学年によっては通信教育を受ける

特に何もしない

 

こんな感じじゃないでしょうか。

 

現在は、学校がものすごく幅広くカバーしなきゃいけない仕組みなんですよね。

 

学校に行きたくない子や、合わない子に対して、登校するように働きかけなければならず、保健室や別室でもいいからおいで!!といい、もし来たら人手もないのに対応しなきゃならない。

 

こんなの無理ゲー。

 

先生の立場にある人は、親の相談という名の愚痴に対応し、何の知識も指針も無いままに、謎のマニュアルとの板挟みでストレスまみれでしょう。

 

平均して一クラスに1人以上は不登校児童が居ます。

 

その他に問題行動のある児童もいることでしょう。

 

学校の先生に鬱が多いのも必然に感じてしまいます。

 

これまでの感覚ですが、子供が初めて不登校を口にした時に、周りの大人が対応を誤り、大きく子供のHPを減らしてしまってる気がします。

 

ここでどっしりじっくり子供と向き合えていたら、大袈裟でなく大半の子は学校に戻る気がします。

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何か問題のある子は、問題を解決すればいい。

 

特にイジメなどの問題の無い、システムに合わなくて疲弊している子供は思い切ってゆっくり休ませて、心身を回復してから親子で今後を模索する。

 

その際に学校に行かない、と言う選択肢もありだと思います。

 

この時、どの位親が腹をくくれているかと言うのが1番のターニングポイントになる。

 

子供と自分を天秤にかけて、自分を守りに入ると子供に無理を強いてしまう。

 

子供は親がそう言うなら、死ぬまで頑張ってしまう。

 

そんな悲しい景色は今も毎日どこかで繰り返されている。

 

何にもしないコト、学校に行かないこと、学歴が無いこと、そんな事に親が1度向き合って答えを出しておくこと。

 

その上で子供と向き合うことで、多くの子供が救われる気がする。

 

今現在、"学校に戻る為"の支援学級はあるが、そのままでいいと言う学校や施設はない。

 

フリースクールや、フリースペースは、公立ではない。

 

何もしなくてもいい、HP回復の為の居場所の大切さを痛感している。

 

そして、能力が偏っている子の支援も必要だ。

 

抜きん出て勉強の出来る子は、学年にかかわらず伸ばしてあげたらいい。

 

学びに時間のかかるタイプの子は、ゆっくり学べばいい。

 

絵や楽器、偏った教科だけやりたい子は、それを出来るといい。

 

それら施設の間の情報の共有を徹底して、自由度高く行き来できるようになれば尚良い。

 

学校は"学びの場"とある程度割り切って、好きな事、興味のある事ではコミュニティとして行動できたらさらに良い。

 

今ある学習塾や学校やフリースクール、フリースペースと、その他塾なども巻き込んで、減少していく子供達を自由度高く、個性を細やかに発揮させてあげられたら…

 

先ずは頑張らなければ学校に行けない、馴染めない子供達に回復してほしい!

 

頑張らなくてもいい居場所を早く与えてあげたい。

 

そうすれば子供達は、自力で勝手に羽ばたいて行けます。

 

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子供が産まれた時、元気に生まれてきてくれただけでいい…そんな風に思いました。

 

あの瞬間に、子供はもう親孝行を終えて、一人間として歩み始めました。

 

それがどんな歩みでも、見守り、助けてと言われたら手を差し出す。

 

ただそれだけしか、親にできる事はありません。

 

今や、学歴や企業名で幸せは買えません。

 

お金も権力も、幸せとは無関係です。

 

少なくとも、子供は私よりも無限の可能性を秘めています。

 

子供の自力を発揮させてあげられれば、もうそれで十分なんだと思います。

 

今どうする事がいいのか、自分なりに、子供なりに出した答えは、正解かどうかなんてわかりません。

 

だけど、自分で出した答えなら、結果に対して向き合っていけます。

 

本気で自分や子供と向き合って、信用して、進んでみてほしいと思います。

 

まずは親が腹をくくる事。

 

それこそが、子供を自由にすると思うんです。

 

自分も、子供ももっと大切に扱ってほしい!

 

自分も、子供も、これでいいって、腹くくって笑ってほしい。

 

 

 

 

 

 

人生はSASUKE

人生はよく階段に例えられるけど、私も時々そんな風に思う。

 

たとえば運よく何か目指したいことに出会って、それに向かって歩いているとして。

 

1つ1つ、何かをクリアして進んでいる。

 

もう目指したものが手の先にある時の階段の最後の一段が、壁のように高い。

 

そりゃあもう恐怖とか、諦めを感じるくらいに高い。

 

SASUKEっていうTV番組みたいだなと思う。

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障害物をクリアしていく。

 

最初は簡単そうなものから。

 

だけどほんの些細なことで、鍛え上げられた人があっさり脱落したりもする。

 

最初からクリアできる実力がなさそうな人が、行けるところまで!!と挑んだり。

 

そうして最後の最後まで来たところで、前人未到の難関が待っている。

 

出来っこないと思わせる障害物を、気合いで乗り越えようとするか、予想される動きを鍛え抜いてきた者もいれば、迷いなく飛び込む者もいる。

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あとほんの1秒で、手を伸ばせば届くのに、時間制限の壁に阻まれたりもする。

 

壁は目に見えるものだけではない、と思い知っても遅かったりする。

 

次回チャレンジは、また1から…

 

と思ったら甘い。

 

障害物は進化していく。

 

予習が効かないこともある。

 

仕組み自体がリニューアルするから、実質マイナスからのスタートだ。

 

挑むかどうかも、自分次第だ。

 

人生の階段も、最後の階段が1番厄介で、怖くて、失敗すればスタート地点よりも前に引き戻されるかもしれない。

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それでも、

 

それでもチャレンジしなければ、見られない景色ばかりが広がっている。

 

そしてゴールすることもない。

 

"あそこに行く"と決めて、行動したものだけがたどり着く権利を持っている。

 

ホント、人生はSASUKEだなと思う。

 

先ずはエントリー。

 

後は進むだけ。

 

 

孤独のすすめ

「凄いね!」って言われたり、

 

凄い人って紹介されたり、

 

そう言う扱いをされる事がある。

 

自分の思う事だけやる、やりたい事をやるってことにしてから、そう言う事が増えた気がする。

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実のところわたしは何も変わってないし、むしろ我儘に自分を甘やかしている。

 

自分で自分を極めようと行動すればするだけ、ほんとの自由はこんなにも孤独なんだなと思い知っている。

 

自分を芯から誰かと共有する事は無いんだなと確認する感じ。

 

でもそこには寂しさよりも、孤独という自立みたいなものを受け入れられている爽快感みたいな感覚が湧いている。

 

こうやって人は自立していくのか…

 

だとしたら、私は今まで自立していなかったなと、少しくすぐったい思いがする。

 

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誰かと語らう時、話を聞く時、共に歩く時、私はもう自由だから、今までよりもっと近くに行けるだろうと思う。

 

全く、見た目にはわからないだろうけど、孤独になればなるほど、他人とも寄り添えるんだなと納得した。

 

震えるほどの孤独が、人間関係を豊かにする。

 

 

恋は重さ!

つくづく思うんですよ。

 

恋は思いの大きさが同じがいい。

 

それが上手くいく。

 

お遊び同士なら、それでOK。

 

本気でどうしようもなく重い同士でもOK。

 

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だけど、恋にゲージがあるなら、思いが大きくても、ズレてたらどうしたって上手くいかない。

 

もしも思いが少しずつ大きくなっていくなら、それが片方ならずれていく一方。

 

恋が愛に育っていくなら、出来るならタイミングは一緒位がいい。

 

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好きな人に出会う。

 

付き合う。

 

愛し合う。

 

本当に奇跡みたいなことだよね。

 

 

だから、もし死ぬまで一緒にいるわけじゃなくても、上手くいかない事があっても、その時間はぜんぶ尊いんだよ!!

 

人を好きになれる自分だって事は、誇りにおもっていい!

 

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つくづく思うんですよ。

 

恋しちゃおうよ、ね!