学校への一歩、不登校への一歩
人生の答え探しや、
なにをして生きていくべきか、
そんな事を散々悩んで勉強してもがいて答えと思われるものを知っても、
それを行動に移せる人は、本当に少ない。
そもそも、行動しようとしない。
だけど、学校に行きたくない、辛いと思っている子供達は、
"学校にはいっておいたほうがいい"
そんなあやふやな理由で、心と真逆の行動を強いられる。
正解と知っていても大人ができない事を、子供は意に反していても必死に行動する。
そして遂に力尽きた時、心や体が悲鳴をあげる。
崖から半歩踏み出したところに来てやっと、家族や学校の知るところとなる。
その時周囲は、もうひと息頑張れという。
学校へ行けという意味で頑張れという。
もう、そんな余地などありはしない。
中にはそれでも頑張ろうとする子もいる。
足元に、もう地面がないのに、歩けと言われたようなものだ。
もしお子さんが小学生など、早くに不登校を訴えたなら、そのお子さんは"訴える事が出来る"素晴らしい能力がある。
多くのお子さんは、表現できないで毎日疲弊して行くけれど、疲れきる前に訴えてくれれば疲労回復も早い気がしている。
やるべき事に踏み出せない一歩と、
やりたくない事に必死に踏み出す一歩のエネルギー消費量はどの位だろうか?
子供はすごい。
大人は意に反した毎日など、長くは耐えられないのに、子供は必死にやり遂げようとする。
子供が不登校を訴えた時、まず向き合うべきは親の方だ。
自分は一歩を踏み出せているのか?
目の前の子供に、どんな一歩を踏み出してほしいのか。
それらの答えは、周囲からの影響を受けずに自分で出した答えか?
子供の訴えは、必死に行動した結果だけれど、自分は行動した結果か?
子供の訴えを信頼して、休憩させてあげる事ができる自分だろうか?
毎日、意識していなくても、物凄く頑張って生きている事と思います。
少し立ち止まって、向き合って、好きなものでも食べて、息を吐ききっていただきたいと思います。
まずはそこから˙˚ʚ( •ω• )ɞ˚˙