努力も勇気も要りません
何かをしたいと思いついた時、それに向けて準備と称した努力を長々と続けていて、結局は一歩すら踏み出せずに終わることがある。
それよりは、取り敢えず勇気出して一歩を踏み出しちゃおうよ!!
と言う考えは、とっても素敵ではある。
だけど人は、勇気を出せない。
そこまでわかっていても一歩を踏み出さない。
かく言う私も、やってみようか…と思って、いざ一歩を…と思ったところであれこれ思いが湧き上がってきて、持ち上げた足が宙ぶらりんになったことがある。
「これって本当に私がやりたかったことなんだろうか?」
などという否定と言うか、疑問みたいなものが今更に持ち上がり、
もしかして自分は怖気づいているのだろうか??
これを振り切って、乗り越えて、突破していくことが勇気なんだろうか!?
あれこれ考えたが、足は浮いたままだ。
そしてふと今思うに至った。
そもそも、やりたいことをやるのだとしたら、本当に勇気は必要だろうか?
勇気だ!
行動だ!!
まぁ、行動すれば、何かしらの経験値は得られるよね。
失敗したって糧になる。
上手くいけば、それはそれ。
このように書いていると、勇気を出さないことの、正当化じゃないの?と思われても仕方ない。
実際正当化したいと思う。
でもこれだけは言いたいが、全ての人が勇気出すなと言っているわけじゃないよ。
少しの勇気出して、一歩を踏み出すタイミングの人ももちろんいると思う。
でも、多くの踏み出せない人は、もしかして、踏み出す方向を間違えてないか。
それか、踏み出す時じゃなくないか?
やろうとしていることは、素晴らしいかもしれない。
でもそれに対して、あらゆる環境が付いてきているか?
特に自分自身の人間力が釣り合っているか?
それこそ人間力は、教えられても、与えられても、背中押されても、真理を知った気になっても、直ぐに得られるものじゃない。
セミナーに参加したって、もう得てる人に会ったって、自分が直ぐにそこに行けるわけじゃない。
自分が人間力低いんだとしたら、自分より高い人を見極めるのはとても困難だしね。
「あの人は本物だ」
「偉い人、凄い人なんだ」
人間力の低い自分がジャッジしまくった結論だということに気がついているだろうか?
もちろん感覚的に嗅ぎ分ける程度ならできる。
でも"物知りだけど、人間力は実は低い"何て人はざらにいる。
それなら、知の部分だけお世話になって、人としての部分は、そこそこだと知っておけばいい。
本当にやるべき時に、やれるべき自分であれば、勇気すらいらないなと思う。
まずは勇気を出すところまで、あがいてたどり着くこと。
"誰かに学んだからやれる"と言う思考レベルで出す勇気は、つまりはまだ"あがき"だろう。
あがいて、いつか自然に流れに乗るようにと言う意味の一歩を踏み出そう。
もうだいぶあがいたのに、一歩を踏み出し忘れている人は、それに気がつけばいいだけ。
これからまだあがきが必要な方は、どうぞそちらを楽しんで。
目の前のことは全て必要で、なかなか前に進まない方は、周りをガン見しすぎて自分を見るのを忘れているかもね。
今している事に、間違いはないんです。
全部必要!
努力もすればいい。
したくなければそれでいい。
勇気も出せばいい。
出せないなら、やらなければいい。
でも最後、やるべき事をする時には、そのどちらもいらないんだと思う。
自然に流れるように、さらりと取り組むんだなと思うんです。
さらりと、ね。