(蟹)

蟹の見てる世界˙˚ʚ( •ω• )ɞ˚˙

「学校はもう、いいよね」と決めたときの話

例えば学校に行けない子が、来週は行く!

 

と、やけにスッキリとした顔で宣言することがあります。

 

そろそろ万策尽きて、どうしたものかと頭を抱えていた親は、もしかして本当にあっさりと学校に行くのではないか?と少しだけ方の荷が下りた気持ちになります。

 

けれど、宣言された期日が迫ってくると、本当に行けるのかしら?もしかして行けないのじゃないか??と、沢山のエネルギーをそこに費やすことになります。

f:id:kanikanikanikani:20161005175113j:image

 

 

それは子供も同じで、360度包囲網で学校に行くことを迫られていますから、行かないという状態をずっと続けることは無理なんだ、ダメなんだと自分を叱咤します。

 

そして決心して、自分に期待します。

 

"学校に行く"と宣言してみたら、何だか簡単なことのようにも思えます。

 

しかも周囲はその発言に、ものすごく安心したり喚起したことを確認して、これで良かったのだと思います。

 

けれど、むしろそこで残り少ないエネルギーを使って宣言してしまった上に、迫り来る期日に益々疲弊していきます。

 

大抵は登校できず、もしも登校しても1日が良いところです。

 

大切なエネルギーは、もう残っていないに等しく、そのあたりで親子の動きは完全に停止します。

 

もうエネルギーがない状態では、有効な思考も言動も行動も、ほぼ無理です。

f:id:kanikanikanikani:20161005175635p:image

 

 

親子とも、真の意味でエネルギーの補充をして欲しいと思います。

 

もし子供の望みが不登校なら、何のストレスもプレッシャーもない状態で不登校させてあげてください。

 

元のエネルギーの不足量の違いによって、少しだけ不足の子なら直ぐに満タンになって、自分のしたい事を考えたり行動することができるでしょう。

 

もし、エネルギーがもう無いのなら、命をつなぐ最低限のことだけで、あとは何の刺激もなく暮らしてほしいんです。

 

ひきこもりでもいい。

布団の中で過ごすのもいい。

ゲームしてもいい。

夜起きて、昼寝てもいい。

遊びに行ってもいい。

何をしてもいい。

 

それが、今できる命をつないで行ける状態ならベストです。

 

これはもちろん親もそうです。

 

周囲からの言葉に、ズタズタになり、ボロボロになっているかもしれません。

 

もしかしてその事に気がついていないくらい日々精一杯かもしれません。

 

もう、誰の言うことも聞かなくていいと思います。

 

自分がいいと思うことで、出来ることなら、してもしなくてもそれが正解です。

 

自分のことより子供が心配なの、と思ったらそれは危険信号です。

 

自分が心身ともに健康で、満ちていなければ、浮き輪もなしの着衣のままで溺れている子供を救助に行くようなものです。

 

1日も早く、生きるために自分を休めて、子供も休めて…

 

起き上がって、美味しいものが食べたいとか、どこかへ行きたいとか、何か欲求が沸いてきたら何かを1つ叶える。

 

そうしてまた自分や学校と向き合えるように!

f:id:kanikanikanikani:20161005175902j:image

 

私と息子の場合は、そうやって向き合った時、学校への復帰は無期限で見送ることに決めました。

 

「もう、いいよね」

 

そう言えたとき、私たちは笑顔でした。

 

 

その後の居場所とか進路とかのお話は、長くなりすぎたのでまた別で!